インターネットの情報はなぜ信用できないのか

2021/03/31

ネット上の情報が信用ならない理由

最近、知り合いにとある評判の悪いプログラミングスクールの話を聞いて、興味を持ってそのスクールについて調べてみた。「〇〇 評判」と検索をしてみると、なんだかんだでいい評判の記事が多数表示された。「〇〇 最悪」と検索してみると、「最悪と言われることもあるけど、でも良いもの」みたいな結局似たよう記事が表示された。そこで今度はTwitterで検索してみると、ボコボコにディスられていて笑ってしまった。そんなプログラミングスクールに関しては、今度の機会に書くとして今回はなぜインターネット上の情報がなぜここまで偏ったりするのか、もっと言えば信用できないのかについて考えた。

匿名性が問題なのか

インターネットが関連した問題が発生した時に昔から指摘される問題点にインターネットの匿名性がある。「匿名だから、責任感なく勝手な発言をしてしまう」という考え方だ。この考えが日本で特に強いのか、海外で同じような考えなのかは気になっている。『菊と刀』で言われるように、日本人は恥の文化で西洋は罪の文化であると考えると、匿名性という他者の目がなくなる環境では、確かに悪事が働かれやすくなるのかもしれない。そもそもベネディクトのこの考えが正しかについても議論があると思う。それはさておき、私はインターネット上の問題は匿名性ではなく、連続性のなさが問題だと思っている。この連続性とは、同一人物・アカウントがどのような行動を取ったのかが、断片的にしかわからないということだ。今では簡単なWEBサイトなど、WordPressで極短時間で作成することができる。1人でいくつものサイトを所有することができる。そうなると、同一人物が管理している複数のサイトで全く別のことを書くことができるのだ。アカウントの連続性があれば、これまでの発信内容からそのアカウントの信憑性を判断できるし、発信する人もそれを意識して発信を続けなければならない。要は二枚舌ができないということだ。匿名だとしても、インターネット上での連続性があれば信用問題が出るため個々人の行動は慎重になるのではないと思っている。匿名性に関しては、また別の機会にも書こうと思う。連続性のないインターネット上では、アクセス数が増えるならば嘘の情報などもいくらでも書き込めてしまう。

情報は金で生み出せる

インターネット上の情報に信憑性がないのは、情報が簡単にお金で生み出せるからという側面もある。誰かに報酬を支払って「〇〇について、〇〇な感じで書いてください。1文字〇〇円」みたいな依頼はあまた存在する。自分にとって都合のいい記事をたくさん作るなんてことは、金を払えばいくらでも行うことができる。数が多くなれば、自分に不利な記事を検索結果上位から除外できる可能性も高くなる。件のプログラミングスクールが実際にそれを行っているかは分からないが、行おうとすることも実際に可能だろう。実際に「自分たちについて良いように書いてくれ」と依頼を明示的に出さなくても、アフィリエイトなどで記事の内容が恣意的に決まることもある。

アフィリエイトがコンテンツを決める

私は以前、仕事でアフィリエイト記事の執筆をしていたことがある。その時以来、インターネット上のアフィリエイトリンクの貼ってるであろう記事はあまり信用しなくなった。もちろん参考程度に見ることは多い。アフィリエイトのことをあまり知らない人のために簡単に説明すると、自分のサイト内に商品リンクを貼っておき、そのリンクをクリックした人がその商品を一定期間内に購入すると、売上の一定額が報酬として支払われるという仕組みだ。アフィリエイトが成立する条件として、アフィリエイトの対象商品であることとサイト内でリンクをクリックしてくれることである。ネット上で見かける「〇〇のおすすめ10選」みたいな記事は、大抵アフィリエイトだ。だからこの10選に入るのは、アフィリエイトができる商品でしかない。だから、本当の目玉商品みたいなものなどは乗っていなかったりする。前出のプログラミングスクールの評判もインターネットで検索した時に、なんだかんだいいように書いてあるサイトにはアフィリエイトのリンクが貼ってあった。悪い評判ばかり書いては、リンクをクリックしてくれる人がいないのだ。このように、アフィリエイトの目的はユーザーに如何にリンクをクリックして購買行動まで行ってもらうかだ。本当にその商品がいいのかと言う事は二の次であり「調べてみた」なんて方便で、結論は最初から決まっている。

SNSが検索エンジンを補完する

これまで書いてきたように、インターネット上の情報の信憑性が落ちたことで台頭してきたのがSNSでの検索だと思う。私くらいの世代の人間だとGoogle先生万歳という感じだと思うが、私より若い世代だとGoogleよりTwitterやInstagramで検索する人も多いらしい。SNSの多くはアカウント登録があるため、アカウントでその連続性が担保される。今日スタートしたフォロワー0のアカウントの情報はなかなか信じてもらえないだろう。逆に有益な情報を数多く発信して、フォロワーなどが多ければ信憑性が高くなる。もちろん、いろいろな人がいるから怪しいけどフォロワーたくさんとのか人はたくさんいる。最終的には個々人のメディアリテラシーということだけども、より多くの判断材料がある。インフルエンサーによるステルスマーケティングが問題になった時期もあったが、そのような問題が発生した場合一番損をするのはインフルエンサー自身だ。彼らは積み上げた人気や信頼といった無形の価値を持っている。この価値はかなり高いが、同時にかなり不安定でもある。ステルスマーケティングなどの批判を受ければ、信用がなくなり、下手をすればインフルエンサーでいられなくなることになる。このようなバランスがSNSでの検索の価値を担保していると思う。
検索エンジンの逆襲このような事態を検索エンジンも黙ってみるわけではない。Googleはコンテンツの価値を正確に測るための施策を次々に実行している。最近では、匿名の個人ブログよりも、研究者など社会的地位を持った人のサイトの方がより検索上位に来るようにするなど、アフィリエイターなどが苦戦する検索エンジンの改良が行われている。さらに、AIを活用した改良が行われているらしい。実際の検索エンジンの内容は公開されていないため、どのようになっているかわよくわからない。

最期に

私の好きな言葉にGoogleのエリック・シュミットのものがある。「インターネットは人類が初めて作った、人智の及ばぬ代物だ。それは人類最大のアナーキーな実験なのだ」我々はいつも平然となんの疑問もなくインターネットを使っている。しかし、インターネットの秘めている可能性や危険性を全て理解している人はいない。全人類が参加した巨大な実験の最中と言ってもいいかもしれない。その中では日々新しいサービスやく新しいビジネスが生まれている。現状では、真偽不明の情報が錯綜しているインターネットが、今後どうなっていくのか楽しみだ。