2021/04/02
私が社会に出ることからか世間で「ワークライフバランス」という言葉をよく聞くようになった。
仕事と私生活のバランスを良くしましょうって話だと理解している。
長時間労働やそれに伴う過労死などの事件が影響してか、社会全般で言われるようになってきたのだと思う。この動きは会社などの取り組みだけでなく、労働関係の法律にも影響して長時間労働に対する罰則とか規制にまで広がっているらしい。私も過労死などはなくなるべきだと思っているし、私も私生活とビジネスの時間のあり方を個々人が決定できることは大切で重要なことだと思っている。
しかし、今のワークライフバランスのあり方には違和感を覚えている。私は週に100〜120時間は仕事関係の時間にあてている。そんな私でも、ワークライフバランスのことを考えているし、自分はバランスを取りに言っている方だと思っている。しかし世間一般的にはそう思われないことの方が多い。
週100時間稼働している私がなぜワークライフバランスを考えているかというと、私は人生全体でワークライフバランスを考えているからだ。私は曲がりなりにも、起業家の1人で今の会社を大きくしていきたいと思っている。若い特に週100時間働いて、お金を稼ぎ・不労所得を構築していく。そうすることで、FIRE(Financial Independence, Retire Early ;経済的に自立した状態での早期退職)ができる状態を作りたいと思っている。例えば、35歳以降で働かなくても十分生きていけるという状態が作れていれば、それ以降はずっとプライベートな時間と言えるのではないかと思っている。短期的な視点で見れば私は仕事漬けの日々を送っている。しかし、人生全体で見たらそうとも言えないのではないかと思っている。
ワークライフバランスの話をすると多くの人が日・週単位で、そのバランスを考えているように感じる。定時で帰ることが大切、週休2日であることが大切というような感じだ。しかし、長期的に考えた時にこれが本当にいいかは考えないといけないと思う。今の20代の人は年金がもらえるか分からないし、年金の支給開始が平均寿命といい勝負になってくるかもしれない。そうなると、週単位でワークライフバランスの取れた状態で死ぬまで働くのと、若いうちにハードワークをしてある一定以上の年齢からは経済的に自由になり、働くかどうかも自分で決定できる状態のどちらがいいのかということになる。もちろんハードワークをしたからといって、必ずFIREの状態になれるわけではないのでそこは注意が必要だが。
そもそもだが、仕事と私生活を分けるということへの違和感もある。週100時間稼働しているといっても、私の場合は趣味と仕事がかなり密接につながっている為、どこまでが仕事と言えるかは微妙なところである。依頼を受けてプログラミングをしていることもあるが、自分のスキル向上のためにやっている時もある。
もっと言えば、働くということが楽しい人もいる。私も、新しいサービスを考えたり、実際に作ってみたり(大抵は没になるが)するのが楽しいと思っている。
ワークライフバランスを強要されることへの違和感
過労死などの問題もあり、長時間労働は法的に禁止されている。それに当てはまらないのは、雇用関係にない役員やフリーランスくらいだろうか。先述したように、若いうちにがっつり働いて稼ぎたいというような考えを持っている人でも、会社員である限りその会社で長時間労働はできないのだ。これは、ベンチャー企業などでは特に痛いことだと思う。ベンチャー企業では、人も金もいろいろなものが足りず、その場にいるメンバーでなんとかやっていくようなことが多い。そして、少しでも成功率を上げるために全員が必死に時間や労力を注ぎ込んで活動している。
しかし、それが法律で禁止されてしまうのだ。一種このような生き方を否定されてされているような気になる。近年は日本でも「多様性」が多く語られるようになったが、長時間働くという多様性はあまり認められていない気がする。
ここまでワークライフバランスという言葉を多用してきたが、そもそもワークライフバランスという言葉が正しいのかという疑問もある。Amazonの創業者であるジェフ・ベゾス氏はワークライフハーモニーという言葉を使っていた。仕事と私生活はバランスを取るものではなくて、その調和が大切だという話らしい。仕事を頑張れるように十分な休息や家族との時間・気分転換などプライベートな時間を過ごし、プライベートな時間を自由に過ごせるように仕事を頑張って稼ぐということだ。実際に、金がないとプライベートな時間も十分に楽しく過ごすことができないと思う。ワークライフバランスは、仕事と私生活を対立構造で語っている気がするが、実際はもっと複雑で多様な関係性だと思う。